パラリンピック、イギリスでの取り上げ方
記事:事務局カネコ

アテネパラリンピック前半、わたしはイギリスにいた。
どんな風にテレビで取り上げられるのだろう、など、その様子に以前から注目をしていた。

ジョン・ポロック6月の終わりには、エジンバラ国際空港のバス停にジョン・ポロック選手 の大きなポスターが貼られ、オリンピックの頃にはサッカーイングランド代表オーウェン選手などと共に、車椅子バスケの選手がスポーツドリンクの CM に出演したりしていた。

開会式の日。
テレビを回したが、どのチャンネルでも生放送はされていなかった。
アテネとの時差は 2 時間。ちょうど夜のニュースの時間だったこともあるだろう。もしやこのままあまり注目されずに終わるのでは・・?という不安がよぎった。

しかし何のことはない、翌日からは、 18 時から 19 時半の 1 時間半、毎日しっかりパラリンピック中継がされた。 NHK では 45 分の放映だったと聞くから、単純に倍の時間だ。開会式はさらりと取り上げられる程度で、競技はしっかり伝える、という様子は、パラリンピックを「スポーツの祭典」と捉えている故、ともいえるかもしれない。

興味深かったのは、その番組構成。
オリンピックと全く同じ放映のされ方だったのだ。
もちろんオリンピックより時間は短かったものの、使っているスタジオももちろん同じだし、コメンテイターなど、オリンピックのときと同じ、有名な元アスリート ( 110 メートルハードル世界記録保持者、コリン・ジャクソン) を起用していた。また、競技の様子を放映する際にも、すべてオリンピックと同様に熱狂的な実況中継が入っていた。
「 What a race (なんというレースでしょう)!!!!!!」
と叫ぶ実況アナウンサー。
しっかり、視聴者を興奮させるテクニックは、まさにオリンピックのそれと同じだった。

メダリストをスタジオに呼んでのインタビューも、障害を負ってからの苦労など、かけらもない。元アスリートであるコメンテイターは、同じアスリートとして、競技における駆け引きや勝負にかける思いなどを熱心に質問していた。

シドニーでは選手団スタッフとして現地入り、今回は異国イギリス、そして現地アテネにいたために、日本でのテレビ報道はタイムリーにチェックできていない。だから単純に比較することは難しいが、正直、この取り上げ方には驚いた。しかも、その他の時間帯でも、ときどきある特定の競技や選手に着目した特集番組もやっていたのだ。それがまたおもしろい。毎日すごく楽しみにテレビを見ることができた。

イタリアでは今回初めて、車椅子バスケの試合が生放送されたそうだ。その他の国ではどのような放送がされているのだろう。「インテグレーション」ということばで、オリンピックとパラリンピック、健常者と障害者、というような垣根をなくしていこうとする動きがあるけれど、テレビの放映にも、いろいろな流れが見えておもしろい。

次の北京、わたしはどこで誰とパラリンピックを見ているだろう。



追記( 12 月 8 日)

イギリスでパラリンピックの放映を見ていた知人と話をする機会があった。

「世界のどこかで。日本人として。」でとりあげた、ノエル・サッチャー選手の日本人妻ゆみさんがレース後「よくがんばりました・・」と涙を流して二人が抱きあったそのあと、スタジオのコリン・ジャクソン( 110 メートルハードル世界記録保持者)が厳しくゆみさんを批判したのだそうだ。

サッチャー選手はいくつかのレースに出場していたのでわたしが前述のコラムで書いたときと同じ放映だったかどうかはわからない、あるいはわたしがその場面を見落としていたのかも知れない。

コリン・ジャクソンの批判はおおよそ以下のものだったそうだ。

「まだ次のレースもあるのに、あんなことを言ってはいけませんね。今回のレースは確かにうまくいかなかったけれど、それを一番悔しいと思っているのは本人で、次のレースに向けて切り替えていかなくてはなりません。競技者として、この段階で失敗したレースによくがんばった、といわれるのはどうでしょうか」

これに対して、視聴者がどういう反応したのか、わたしは知らない。

わたしの知人 ( 日本人 ) は、あそこまで言わなくてもいいのに、ゆみさんがかわいそう、という反応だった。確かに、家族としたら、よくやった、と涙を流したくなるのが本当のところだと思う。コーチじゃないのだし。

けれど、同じく陸上の世界記録保持者であるコリン・ジャクソンが、サッチャー選手を「アスリート」と認め、パラリンピックをオリンピックと同等に考えているが故の素直な発言に、わたしはある種の驚きを感じた。

「でも、苦笑いしながら、軽く批判したんでしょ?」とわたしは聞いたが、知人が言うには、コリン・ジャクソンは長々とまじめな顔をして批判をしており、軽い感じではなかった、とのこと。

日本での報道がどのようなものなのか、北京のときは日本でそれを確認してみたい。