【No.53】最大のライバルに競り勝ち、無傷の開幕5連勝を飾ったランディルのチーム力

10月30日、香西宏昭と藤本怜央が所属するランディルにとって大一番の試合が行われた。近年、ドイツにおけるクラブチームNo.1の称号を争っているテューリンギア・ブルズとの一戦だ。昨シーズンは、ドイツカップ(天皇杯と同じオープントーナメント形式の大会)で優勝し、リーグ戦でも首位としたのがランディルだった。しかし、プレーオフのファイナルではブルズがランディルを破り、5連覇を飾った。今シーズンも優勝候補の筆頭に挙げられる両チーム。その第1戦はランディルの本拠地ヴェツラーで行われ、会場には1000人以上の観客が詰めかけた。

ディフェンス力で接戦に持ち込んだ前半

今シーズンのランディルは、主に2つのラインナップが主軸となっている。一つは、リオ、東京とパラリンピックで連覇を達成したアメリカ代表のブライアン・ベル。アジアオセアニアゾーンでは王座を守り続け、東京パラリンピックでは準々決勝で日本と対戦したオーストラリア代表のヤニック・ブレア。同じく東京パラリンピックに出場したドイツの若きエース、トーマス・ベーメー。2018年世界選手権覇者のイギリス代表、サイモン・ブラウン。そして、東京パラリンピックで銀メダルを獲得した日本代表の香西宏昭。この世界トップのスピードを持つ5人を揃えたラインナップは、プレスディフェンスを強みとしている。

もう一つは、ベル、ベーメーの2人に、U23オランダ代表のクインティン・ザンティンジ、チーム唯一の女子選手であるカタリナ・ヴァイス、そして香西とともに東京パラリンピックで日本に銀メダルをもたらした藤本怜央のラインナップだ。

車いすバスケットボールのルールでは、通常コート上5人のクラスの合計が14.0以内だが、ドイツリーグでは14.5以内とされ、女子選手が出場する場合は1人につき1.5点が加算される仕組みとなっている。そのため、本来はクラス1.0のカタリナが出場する場合は16.0までとされるために、ベル、藤本のクラス4.5プレーヤー2人に、ベーメー、ザンティンジのクラス3.0の2人を加えたラインナップが可能となる。この高さがあるラインナップは、ハーフコートディフェンスが主軸だ。

ハーフコートとはいえ、3Pラインよりも前に張り出し、高いラインでの守備が軸となる。他チームと比較して高さがないランディルにとって、いずれのラインナップも相手にインサイドでのプレーの時間を与えないディフェンスがカギを握ることは同じだ。

ブルズとの大事な一戦でどちらのラインナップをスタートに起用するかが注目されたが、ジャネット・ツェルティンガーHCは香西擁するプレスが強みのラインナップを選択。最も警戒すべき相手には、東京パラリンピックにドイツ代表として出場したアレキサンダー・ハロースキーを挙げ、彼の得点を最少に抑えることを指示していた。

今シーズンも1試合で42得点という驚異的数字を叩き出すほど絶好調のハロースキー。高さも兼ね備えた彼にとって、ランディルのどの選手がマッチアップをしてもほとんどのケースでミスマッチとならざるを得ない。そのためしっかりとジャンプアップをしても、挙げた手の上からシュートを打たれるなど、第1Qは11得点を許した。

「アレックス(ハロースキー)に簡単にレイアップや3Pを決められて嫌な試合の入りをしてしまったのは、スタートの5人の責任」と香西。しかし、ハロースキーを好きなようにさせていたという印象はなかった。2Pシュートは100%、3Pシュートも50%とタフショットさえも決めてきたハロースキーのシュート力が勝った結果だったに違いない。ハロースキーの次に警戒していただろうビッグマンのヴァヒド・ゴーラマザド(元イラン代表)には一度もシュートチャンスさえも与えなかったことからもランディルのディフェンスが機能していたことは間違いなかった。

一方のランディルも、ベーメーが両チーム最多の12得点を挙げ、18-23と僅差に。香西が「ここでずるずると相手に流れを引き渡すことなく、自分たちでアジャストして接戦に持ち込めたことが大きかった」と語った通り、引き離されることなく1ケタ台におさえたことが後につながった。

そして、ランディルのディフェンスの強さが際立ったのが、第2Qだった。前半は第1Qと同じラインナップでハーフラインからのプレスを軸に、時にはオールコートでのプレスをしいたランディル。一方、後半には藤本擁するラインナップに切り換え、ハーフコートのディフェンスに。ここでは最も動きの範囲が広く速いベルをトップに置くことで、5人のローテーションがよりスムーズとなり、ブルズの攻撃を封じた。

第2Q残り2分半には、ブルズから24秒バイオレーションを奪ったランディルは、ベーメーのミドルシュートで36-35と逆転。この試合初めてリードすると、藤本がオフェンスリバウンドからのセカンドチャンスに、この試合初得点。さらに藤本はミドルシュートも決め、42-39とランディルのリードで試合を折り返した。

ミスを引きずることなく役割を果たし続けた40分間

第3Qも、一進一退の攻防が続いた。終盤にブルズがフリースローを含めて4連続得点で最大5点のリードを奪ったものの、ランディルもベーメーが要所でミドルシュートを決めて54-54。首位争いにふさわしい競り合いに、会場も熱気に包まれた。

迎えた第4Q、ランディルは藤本とベルのハイポインター2人を擁するラインナップでスタートした。開始早々に藤本の高さを生かしたプレーによる得点でリードするも、ブルズもハロースキー、ゴーラマザドと2人のビッグマンの得点で一歩も譲らなかった。途中、ランディルのハーフコートディフェンスに対し、ブルズのスピードが勝り、立て続けにインサイドを破られて得点を許すと、残り5分半、ツェルティンガーHCは香西と、この試合初起用のドミニク・モスラー(元ポーランド代表)を投入した。

ここから一歩も譲らないシーソーゲームとなるなか、ランディルは残り2分でベーメーのこの試合初となる3Pシュートが決まった。一方のブルズは痛恨のパスミス。これをランディルは逃すことなく得点につなげ、一気に流れを引き寄せた。さらに残り15秒を切って再びブルズのターンオーバーからランディルが追加点を挙げ、70-67。残り13秒となり、3Pシュートを警戒するランディルに対し、ブルズはファウルゲームで最後の賭けに出た。

ブルズがファウルを3つ目、4つ目と重ね、残り時間が10秒を切ったその時だった。香西がスローインからのボールを透明で見えにくかったバックボードに当てるというミスをしてしまう。このボールがブルズに渡り、速攻から得点を挙げ、70-69と1点差となった。

しかし、残り時間は1.6秒。観客が固唾をのんで見守るなか、ブルズは決死の覚悟で再びファウルゲームで望みをつなげようとするも、5つ目のファウルで試合が止まった時には、残りはわずか0.2秒。ファウルを受けたベルがフリースローを1本決めて71-69とし、これで勝敗が決した。

この試合の勝因は、ランディルのディフェンスが最大のポイントだった。試合中に目まぐるしくスタイルが変わるディフェンスは、相手とすればリズムがつかみにくく厄介だ。加えてランディルのディフェンスはラインが高く、前から強くあたるスタイルのため、相手の体力も削られる。その効力は、時間が経つにつれて徐々に高まってくる。

「相手よりもディフェンスの種類が豊富であることがランディルの強み。プレスもあるし、ハーフコートのディフェンスでのローテーションも速い。接戦ではあったけれど、自分たちにとっては心地良さを感じる試合ができたと思います」と藤本。

実際にブルズのエース、ハロースキーは第1Qこそフィールドゴール成功率83%を誇り、11得点を挙げたが、第2Qは2得点、第3Qはフリースローによる1得点。第4Qを終えてのフィールドゴール成功率は57%だった。

一方、ランディルは35得点のベーメーを筆頭に、香西が12得点、ベルが11得点と3人が2ケタをマークした。そして忘れてはならないのは、彼らシューターの活躍の裏には、インサイドにダイブして相手を引き寄せ、シュートチャンスを作り続けたヤニック・ブレア(オーストラリア)やサイモン・ブラウン(イギリス)といった各国代表クラスの優秀なローポインターの献身的なプレーがあったことだ。さらに、これまではベンチを温めることが多かったドミニク・モスラ―も第4Qの重要な局面でハッスルし、勝利に貢献したことも大きかった。

「ちょっとしたミスがあっても、それに引きずられることなくみんなが集中してやろうとしたことを40分間やり続けたことが大きかった」と香西。その言葉通り、ブルズからの1勝は、コートに出た選手全員がそれぞれの役割を果たし、チームでつかんだ勝利だった。

 これで開幕5連勝を飾ったランディルが唯一の全勝となり、首位に躍り出た。とはいえ、勝負はこれからだ。11月末から約1カ月半におよぶ休暇を経て、来年1月にスタートする後半戦にはアウェイでのブルズ戦(2月19日)が待ち受けている。ライバルにプレッシャーを与えるためにも、今月に行われる前半戦の残り3試合も全勝し、勢いに乗って後半戦に乗り込みたい。

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ABOUTこの記事をかいた人

新潟県出身。大学卒業後、業界紙、編集プロダクションを経て、2006年よりスポーツ専門ウェブサイトで記事を執筆。車いすバスケットボールの取材は11年より国内外で精力的に活動を開始。パラリンピックは12年ロンドン、16年リオ、21年東京、世界選手権は14年仁川、18年ハンブルク、アジアパラ競技大会も14年仁川、18年ジャカルタの各大会をカバーした。